言語の反逆
8/11(火) 山の日
日記を書こうと思い立ってから本当に書くまでに二日かかったがそれでよいと思う。多分これからも毎日は書かないと思うし。
この日記は僕のありふれた夏休みを少しだけでも激アツファンタスティックにするための備忘録とちょっとした進捗を書くいう感じにしていきたい。
日記の初回だ気合い入れていこうとか思ったがすでにこれを書いてるときに日付をこえているし全く良好なスタートを切れていない、もはや8/12の日記になってしまっている、それもそのはず最近は毎日3時くらいに寝てるし生活習慣の乱れが明らかな原因だとわかっている、生活習慣の乱れは日記にも影響を及ぼしてくるからやっぱりいけないと思う、いけないとは思う。おもう。
本題に入ろう、人間が語れることの限界は言語の限界だという言葉がある、語りえぬことを語ってもいみがない、語りえることを語りつくしたときに語りえぬことの輪郭をつかめるだろう、語りぬことには沈黙しなければならない。
本当なのかは確かめようがないが語りえることの限界は言語の限界というのは納得できる、人間は言語で意思疎通する。
そこで、言語の反乱というかっこいいタイトルにしたのは今日べ-シック圏論を進めていた時におもったことがあって
f : A → B , g : B → C
という写像があったとき写像を合成したいと願ったとして、人間最初は直感的に合成を並び順でf ◦ gと書いてしまいそうだが実際はg ◦fが合成の記法としてあっている。
今となっては当然としておもうがよくよく考えると混乱する、言語が直感の邪魔をしている。もしかするとこれは記法の問題かもしれないがそれでも困る。
言語の限界というのは案外身近にいるのかもしれないと思った今日でした。